寿司はさびぬきにかぎる

深呼吸のトマトご飯

備忘録

土鍋で炊いたご飯に、トマトと生姜をたっぷりのせたトマトご飯

我が家の愛犬・だてまきくんは、現在十七歳。あと二ヶ月もすれば十八歳という、押しも押されもせぬ大長老である。東日本大震災も一緒に乗り越え、体調が良い日には私の仕事場にもトコトコとついてくる。ほぼ二十四時間、文字通り寝食を共にしてきた相棒だ。

大きな病気ひとつせず、穏やかに歳を重ねてきた彼だったが、ここへ来て最大の試練がやってきた。

ある日のこと、部屋でお水をぺちゃぺちゃと飲んでいただてまきくんの口から、突如としてものすごい勢いで血が吹き出したのである。

あたり一面、あっという間に血の海だ。事件現場さながらの光景に、私はすっかりパニックになってしまい、震える手で夜間救急病院に電話をかけまくった。しかし、「血が止まっているなら、夜間に連れてきてもできる処置がありません」と冷静に言われ、途方に暮れるばかり。翌朝、かかりつけがお休みだったため、近隣で一番大きな動物病院へと駆け込んだ。

そこで告げられたのは、「口の中にできものがあります」という非情な宣告だった。

犬の口内にできる腫瘍は、大半が悪性である可能性が高いという。しかも、日々目に見えて大きくなっている。組織を調べるにしても全身麻酔が必要で、この高齢である。心臓は保つのか、甲状腺はどうだと、次から次へと検査の嵐。結果を待つあいだ、私の精神はすっかり縮み上がり、胃袋が雑巾のようにキュッと絞られたようになって、まったくご飯が喉を通らなくなってしまった。

ところがである。

肝心のだてまきくん当人はといえば、「何かありましたっけ?」という顔をして、朝も晩もいつも通りにカリカリとドッグフードを完食しているのだ。口から血を噴いた張本人がこれほど呑気なのに、見ている人間の方が先に参っているのだから世話がない。

ショックでご飯が喉を通らないのは、私だけかと思いきや、そうでもなかった。うちの夫は日々、ブロッコリーとゆで卵、そしてサラダチキンをむしゃむしゃと食べて強靭な肉体を維持している立派なトレーニーなのだが、その彼でさえ「鶏肉が喉を通らない……」と暗い顔をしているのだ。毎日ブロッコリーと卵、あとはプロテインを飲んでどうにか誤魔化しているという。あの筋肉の塊のような夫まで、精神的ダメージでチキンを受け付けなくなるとは、だてまきくんの存在感たるや恐るべしである。

これではいけない。犬が元気にご飯を食べているのに、飼い主夫婦が揃って飢え死にしてどうするのか。何か、この縮み切った喉をすんなり通るものはないか、と考えあぐねた末に思い出したのが、日本料理人の野崎洋光さんが動画で紹介していた「トマトご飯」だった。

野崎さんの料理動画は、以前から好きでよく観ている。料理人の凛とした佇まいや、無駄のない美しい手仕事を見ているだけで、こちらの背筋がすっと伸びるような気分の良さがあるのだ。作り方はいたってシンプルである。完熟したトマトを小さめの角切りにし、生の生姜を細かく刻む。そこに塩を二パーセントほど加えてざっと混ぜ、少し置くだけ。それを、炊きたてのご飯に乗せていただく。

野崎さんは動画の中で、「チューブの生姜を使うと、かえってまずくなりますから」と、さらりとおっしゃっていた。こういうところが、実にいい。「面倒ならチューブでもいいですよ」と安易に妥協させず、ちゃんと美味しい本筋を教えてくれる潔さ。どうせ食べるなら、ちゃんと美味しいほうがいいに決まっているのだ。

私はまな板の前に立ち、生の生姜をとんとんと細かく刻み、トマトを切り、塩を振った。

角切りのトマトと刻んだ生姜を、塩で和えたところ

お米は、もっちりした粘り気の強いものではなく、さっぱりと粒立ちのいい品種を選び、しっかり浸水させてから土鍋で炊き上げた。蓋を開けると、つやつやとした湯気があがる。

土鍋で炊き上げたご飯

実は、この料理の真骨頂は、食べる瞬間だけにあるのではない。生姜を刻む音、おひつやお気に入りの器を用意する手触り、土鍋から立ちのぼる匂い。そうした一連の「整える作業」の中にこそあるのだ。不安で頭がいっぱいになり、ざわざわと波立っていた心が、野菜を丁寧に刻み、ご飯を蒸らしているうちに、すーっと凪いでいくのがわかる。料理とは、単なる栄養補給ではなく、乱れた日常の結界を張り直す作業なのだと、つくづく実感する。

土鍋のご飯に、トマトと生姜をたっぷりのせたトマトご飯

炊きたてのご飯に、冷たいトマトと生姜をたっぷりのせて、口へ運ぶ。トマトの自然な旨味と酸味、生姜の爽快な辛味、そしてほどよい塩気。あれほど食べ物を拒絶していた喉が、嘘のように開いて、さらさらと身体に入っていく。「あ、食べられる」向かいに座る夫も、同じようにトマトご飯を口に運び、ほっとしたように息を吐いた。

足元では、満腹になっただてまきくんが、スースーと気持ちよさそうに寝息を立てている。十七歳と十ヶ月。これから先、どんな診断が下り、どんな決断を迫られるのかはわからない。見通しが明るいとは言えないかもしれない。けれど、当の本人が生きる気満々でご飯を食べているのだから、私がうろたえてメソメソしている場合ではないのだ。こちらがしっかり腹を満たし、地に足をつけていなければ、大事な相棒を守ることなどできはしない。

私は深呼吸をひとつして、土鍋からトマトご飯をもう一杯よそった。静かな心でこれからの日々に向き合うための、忘れられないトマトご飯の味である。

記事一覧へ