寿司はさびぬきにかぎる

結局、書くのが好きなだけなのだ

備忘録

ソフトクリームの横で、舌を出してこちらを見るだてまきくん

朝、熱いコーヒーを淹れてパソコンを開いたら、「重大な脆弱性が見つかりました」というニュースが目に飛び込んできた。なんでも、ホームページやブログの裏側で動いている「PHP」という仕組みに問題があって、企業や役所が慌ててサイトを一時停止しているのだという。

「ぜいじゃくせい」という言葉は、いつ聞いてもなんだか響きがよろしくない。古い木造アパートの床が、踏むたびにギシギシと鳴るような心細さがある。

私は機械の詳しいことはさっぱりわからないのだが、個人が自分の城としてホームページやブログを持つというのは、こういう時にじつに面倒くさいのだな、と改めて思った。文章を書きたいだけなのに、やれアップデートだ、バックアップだ、セキュリティ対策だと、大家さん兼警備員のような仕事まで引き受けなければならない。ちょっと日記をつけたいだけなのに、その前にまずノートの鍵を最新のものに取り替え、泥棒除けのセンサーを取り付けなさい、と言われているようなものである。私ならその時点で、もういいや、と布団をかぶって寝てしまう。

だいたい、最近は見る側の私たちも、すっかり疑り深くなった。

昔なら「へえ、これいいな」と思ったら、ブログに貼ってある商品のリンクをひょいと気楽に押していたものだ。ところが今は、やれ詐欺サイトだ、情報漏えいだと毎日脅かされているものだから、見慣れないリンクを見ると「これ、押したら変なところへ連れて行かれるんじゃないだろうな」と、指先がピタリと止まる。石橋を叩きすぎて、結局渡らずに引き返すような人が増えているのだ。これでは、ブログで商品を紹介してお小遣いを稼ごうとしている人たちは、たまったものではないだろう。

そこへきて、最近はAIという、とんでもなく物知りなやつまで現れた。

このあいだ、近所のスーパーで立派な里芋が安かったので、美味しい煮っころがしの作り方を検索してみた。すると、画面の一番上にAIがシャシャッと出てきて、「里芋の煮っころがしは、こうしてああして、調味料の割合はこれくらいです」と、実に手際よく教えてくれたのである。

昔なら、料理好きの誰かが書いたブログを三つも四つも開いて、「なるほど、この人は下茹でをするのか」「こっちの人はレンジでチンだな」なんて見比べていたものだ。ところが今は、検索画面の立ち話だけで用が済んでしまう。わざわざよそのお宅(ブログ)の玄関を開けて、お邪魔する必要がなくなったのだ。

これは、書いている人からすれば、なんともやりきれない話である。

自分が時間と手間をかけて、あちこち調べて書いた大事なネタ帳を、AIが後ろからひょいと覗き見して、通りすがりの人に「それはね、こういうことですよ」と得意げに喋ってしまうのだ。教えてもらった人は「ありがとう」とそのまま帰ってしまい、ネタ帳の持ち主のところには誰も来ない。お礼も言われなければ、チャリンとお金が落ちることもない。なんだか、一生懸命作ったお惣菜を、誰かに勝手に味見されて「うん、味はまあまあだね」とだけ言い残して去られたような、妙な徒労感がある。

ここ数年、「ブログで副業」という言葉がずいぶん流行った。

どういう言葉で検索されるかを研究し、読者の悩みを先回りして、検索の上位に食い込むように文章を組み立てる。それでお金を稼ぐというのは、大したものだと感心するし、悪いことだとも思わない。ただ、これだけAIが賢くなり、みんながリンクを警戒するようになると、その商売もいよいよ上がったりなのではないか、という気がするのだ。

じゃあ、お金にならないなら、もう誰もブログなんて書かなくなるのだろうか。

ほうじ茶をすすりながら考えてみたけれど、私は案外、そうでもないような気がしている。

そもそも、昔のブログというのは、一銭にもならないのが当たり前だった。

今日食べたお昼ごはんが美味しかったとか、電車の中で変な人を見たとか、買ったばかりの靴で靴擦れができたとか、そんな、誰の役にも立たないけれど、自分にとってはちょっと面白いことを、みんなせっせと書いていた。

言ってみれば、平安時代の清少納言が書いた『枕草子』みたいなものである。

清少納言だって、「春はあけぼの、と書いておけば、検索順位が上がって印税がガッポリ入るわ」なんて計算して書いていたわけではないだろう。「春はやっぱり明け方がいいわねえ」「憎らしいものといえば、急いでいる時に限って長話をしてくる客よねえ」と、日々の暮らしの中で見聞きしたことや、ちょっとした愚痴を、自分の言葉で書き留めていただけだ。それが千年経っても「わかる、わかる」と読まれているのだから、人間のやることは基本的に変わっていない。

AIは、里芋の煮方は教えてくれる。けれど、「昨日、里芋の皮をむいていたら手が痒くなって難儀した」とか、「せっかく煮たのに、ひとつだけゴリゴリと固いハズレがあった」というような、間抜けで愛おしい個人の体験までは書けまい。

知識や正解が欲しいだけなら、AIに聞けばいい。でも、私たちが本当に読みたいのは、案外そういう「誰かのどうでもいい日常」だったりするのだ。この人はまたこんなことで怒っているな、とか、相変わらず食い意地が張っているな、とか、そういう書き手の体温のようなものに触れたくて、わざわざその人のページを開くのである。

これからは、難しいシステムの管理は専門の会社にお任せできる手軽なサービスを使って、お小遣い稼ぎや検索順位のことなんかすっかり忘れた人たちが、またのんびりと文章を書き始めるのではないだろうか。

「検索されるための文章」から、「ただ書きたいから書く文章」へ。

お金儲けの道具としては下火になるかもしれないけれど、それはブログがダメになったということではない。いろいろと余計な飾りが取れて、ようやく元の気楽な場所に戻ってきた、ということなのだと思う。

そう考えると、なんだか少しホッとする。さて、私もあの固かった里芋の悪口でも、どこかに書いておこうかしら。

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